【47歳で現役復帰??】スター性の塊:新庄剛志ってどんな選手だった??

プロ野球

かつて、大阪を、北海道を、そしてアメリカまでもを虜にした元プロ野球選手の「新庄剛志」。

その新庄剛志さんが、47歳にして本気でプロ野球復帰を目指すというニュースが全国のプロよ旧ファンを騒がせました。

普通なら約10年以上のブランクがあり、それでいて47歳という年齢でのプロ野球界への復帰は絶望的なのですが、「あの新庄なら…」と僅かながらですが、期待を持っている野球好きは多いでしょう。

この記事では、そんな新庄剛志さんが現役時代残してきた数々の伝説や経歴を簡単にまとめてみましたので、是非ご覧ください!

基本情報・経歴

新庄剛志(長崎県出身)

【生年月日】1972年1月28日(47歳) 【身長・体重】181㎝・76㎏

【経歴】西日本短期大学付属高等学校→阪神タイガース→ニューヨーク・メッツ→サンフランシスコ・ジャイアンツ→ニューヨーク・メッツ→日本ハムファイターズ

ドラフト5位

同期:前田智徳(元広島)・与田剛(現中日監督)・古田敦也(元ヤクルト)・野茂英雄(元近鉄・ドジャース等)

実績

西日本短期大学付属高等学校時代~

意外にも甲子園経験は一度もなく、3年次には1番・中でチームを引っ張り、予選決勝(福岡大大濠戦)でサイクルヒットを放つも惜しくも敗戦を喫します。

ちなみにですが、ある阪神のスカウトは新庄選手の評価で「打力B・走力A・肩力特選A」を付けたそうです。

阪神タイガース時代~

ドラフト5位で入団した新庄選手ですが、1年目はケガもあり2軍でもほとんど成績を残せませんでした。

ですが、2年目の9月9日に1軍初昇格すると、同月の10日の巨人戦で代打で初出場、16日の広島戦では「7番;遊」で初スタメンを勝ち取ります。

…⇒意外にも新庄選手が外野手に正式に転向したのは3年目でした。

その3年目には中心選手となり、亀新(亀山・新庄)コンビで低迷していたチームを盛り上げ、優勝争いを引っ張ります。

4年目には、球団歴代最年少記録の先発4番に座り、初のタイトルであるベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、翌年には初のオールスターに出場し、チーム最多の17本塁打リーグ最多の289捕殺を記録2度目のゴールデングラブ賞を受賞します。

6年目はケガもあり規定打席に到達できず、低迷したシーズンを送りますが、怪我が完治した翌年には2度目のオールスター出場リーグ最多の13捕殺で3度目のゴールデングラブ賞します。

その後、移籍する10年目の2000年まで連続でゴールデングラブ賞受賞、巨人との首位攻防戦での敬遠球をサヨナラ打、オールスターMVP、ベストナインなど、数々の素晴らしい成績を残し、夢であるメジャーへの挑戦へと進みます。

メジャー(メッツ・ジャイアンツ)時代~

日本人野手として2人目のメジャー移籍でニューヨークメッツに移籍すると、外野全ポジションを守るなど1年目から主力に定着し、球団新人外野手最多捕殺(12)も記録します。

ですが、翌年トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへと移籍します。

新天地でもレギュラーを勝ち取ると、ライトフェンス直撃のボールをセンターからとり、捕殺するなど守備で大活躍を見せリーグのレンジファクター(アウト付与率)1位を記録し、日本人初のワールドシリーズ出場も果たします。

翌年には再びメッツに復帰するも怪我もあり初のマイナー降格で、1軍での出場はなくなり、新庄選手のメジャーでの歩みは終わりを迎えます。

日本ハムファイターズ時代~

背番号は今までの「5」ではなく「1」に変更し、日本ハムファイターズへと移籍します。

そこでも、新庄選手の活躍は止まらず、オールスターで球宴史上初となるホームスチールを成功させてMVP受賞、引退する2006年までゴールデングラブ賞を連続受賞など、数々の素晴らしい成績を残します。

そして、日本復帰3年目の2006年の4月、今シーズン限りでの引退を表明します。

ですが、ラストシーズンとなったこの年に自身初の日本シリーズ出場・制覇を果たし、有終の美を残します。

結果、この年に入団時に掲げていた2つの目標(札幌ドーム満員・日本一)を達成することになります。

特徴・凄さ

常識外れの記録の数々

生涯打率は252と、打撃ではそこまで突出したものはありませんでしたが、オールスターでのホームスチールや敬遠球を打ちサヨナラ打にする、1軍に定着した計12年で7度のオールスタ出場など、数々の記憶に残る記録を残しています。

NPB史上最高クラスの守備力

間違いなく外野手としてはプロ野球史に残る守備力を誇っていました。

1994年以降1995年を除く全ての年でゴールデングラブを受賞し、最多捕殺も3回受賞していることからも、凄さが分かります。

そして何よりも凄いのが、バケモノみたいな身体能力を持った選手の多くいるメジャーで、守備力が評価されレギュラーで出続けていたことでしょう。

レフト・ライトまで届く守備範囲、異常な肩の強さはその時のメジャーでも間違いなく一流の外野手でした。

その証拠として、青木選手がサンフランシスコ・ジャイアンツに所属していた時のコーチが「メジャー屈指の外野手であり間違いなく5本の指に入る」を言っていたほどです。

ファンを虜にする天性のスター性

そして、新庄選手はその成績ではなく、プロ野球選手としてもファンを大切にし、そして魅了できる数少ない選手でした。

阪神・メッツ・ジャイアンツ・日本ハムすべてでファンの心をつかみ、特に日本ハム時代には北海道に移転したばかりのチームをそしてパリーグを、全て自腹で試合前のパフォーマンス(マスクや天井から降りてくる等)でプロ野球界を盛り上げた功労者です。

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